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葛西晴胤[かさい はるたね]
葛西 晴胤(かさい はるたね)は、戦国時代の大名。葛西晴重の子〔〔陸奥盛岡藩系の系譜による。〕〔仙台藩系の系譜では、葛西牛猿丸(伊達稙宗の七男)は晴胤のことであり、葛西晴重の養子になったとされている。〕。葛西親信・晴信の父〔。葛西氏第15代当主〔。 == 略歴 == 慣例により、第12代将軍・足利義晴より偏諱の授与を受けて晴胤と名乗る(別名の高信(たかのぶ)はこの時までに名乗っていた諱と考えられる〔)。 伊達氏内部で天文の乱という内紛が起こると、晴胤は伊達晴宗に協力して、晴宗の実弟で葛西氏に養子として入っていた葛西晴清(はるきよ、葛西牛猿丸〔)を倒して伊達氏との同盟関係を強めた。また、葛西氏の居城を石巻城から寺池城に移し、葛西氏の戦国大名としての基礎を築き上げた。ただし、この時期の葛西氏の記録は家を2分する騒動を起こしていて非常に混乱しており、生没年を繰り下げるべきだとする説もある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葛西晴胤」の詳細全文を読む
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