|
葛西 紀明(かさい のりあき、1972年6月6日 - )は、日本、北海道上川郡下川町出身のスキージャンプ選手。東海大四高校から地崎工業、マイカルを経て現在は土屋ホームに選手兼任監督として所属。2005年度日本オリンピック委員会・選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度適用選手。 16歳時の1988年より日本代表として国際大会に出場し、1992年のアルベールビルオリンピックに19歳で初出場。以来、リレハンメル、長野、ソルトレイクシティ、トリノ、バンクーバー、ソチと史上最多計7回の冬季オリンピックに出場。 2001年下川町町民栄誉賞受賞〔下川町社会教育関係表彰状況 〕。 スキージャンプの選手としては異例ともいえる20年以上のキャリアと、40歳を超えてなお一線級の成績をマークすることから「レジェンド(生ける伝説)」と国内外から称される選手である。 == 経歴 == === 高校時代まで === 札幌オリンピックが開催された1972年に下川町で生まれ、同郷の嶋宏大や岡部孝信らの後を追うように10歳でジャンプを始める。すぐに才能を発揮し雪印杯全日本ジャンプ大会ジュニアの部などで優勝を重ね、中学3年時には宮様スキー大会のテストジャンパーとして成年組と同じ助走距離で優勝した東昭広の飛距離を上回る〔北海道新聞1988年3月7日付朝刊15面〕など逸材として注目を浴びた。 東海大四高校1年時の1988/89シーズン、11月に札幌で開催されたスキージャンプ・ワールドカップに16歳6ヶ月の史上最年少(当時)で初出場。1月には第28回STVカップ国際スキージャンプ競技大会で国際大会初優勝。さらに当時の中村圭彦ジャンプ部長による抜擢で、2月にラハティ()で開催された1989年ノルディックスキー世界選手権に16歳8ヶ月の日本人男子史上最年少出場〔日刊スポーツ2014年1月7日 〕。 高校2年生時の翌1989/90シーズンからワールドカップに本格参戦し、12月9日のレークプラシッド大会()で初の一桁順位となる9位に入り、翌12月10日にそれを更新する7位。この他に2回7位に入り、シーズン個人総合は24位。しかし、高校3年時の1990/91シーズンは不振でW杯ポイント(当時は15位まで)を獲得できなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葛西紀明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|