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葛西 萬司(かさい まんじ、 文久3年7月21日(1863年9月3日)- 昭和17年(1942年)8月19日) は明治から昭和初期に活躍した建築家。盛岡市出身。辰野金吾と建築設計事務所を共同経営したことなどで知られる。 工手学校(現工学院大学)造家学科教員。 == 略歴 == *1863年(文久3年) - 南部藩家老、鴨澤舍の次男として盛岡市に生まれる。のち、南部藩士葛西重雄の養子となる *1890年(明治23年) - 東京帝国大学工科大学造家学科を卒業(同期に横河民輔、宗兵蔵)、日本銀行技師となる *1903年(明治36年) - 辰野金吾と東京で辰野葛西事務所を開設する *1915年(大正4年) - 工学博士となる *1919年(大正8年) - 辰野金吾没後、単独で建築設計事務所(葛西建築事務所)を経営する *1927年(昭和2年) - 田中實と共同経営となり、葛西田中建築事務所と改称する *1937年(昭和12年) - 単独経営となり、葛西建築事務所と改称する *1942年(昭和17年) - 逝去 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葛西萬司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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