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葛飾北秀[かつしか ほくしゅう] 葛飾 北秀(かつしか ほくしゅう、生没年不詳)とは、江戸時代後期の浮世絵師。 == 来歴 == 葛飾北斎の門人。姓は貴島、名は経正。俗称を成一といった。江戸の人。葛飾を画姓に使用し、如柳、如柳軒、戴藻舎と号す。貴島北秀成一と署名した作品も現存している。また、よしのやまの印章を用いたものも見られる。葛飾北斎が戴斗と号した時に門人となっている。文政(1818年-1830年)から天保(1830年-1844年)にかけてに主として摺物や版本の挿絵を描いた。主要作として、文政4年(1821年)刊行の美芳野山人作の『東海探語』一冊、天保13年(1842年)刊行の八隅立翁作の『絵入養生はなし』二冊などが挙げられる。『東海探語』には北斎も挿絵を描いている。他に、天保13年仲春の年紀のある『自画図式』という絵手本の稿本が残されている。また摺物の例として、天保年間の色紙版錦絵の『雪月花』(ベルリン国立アジア美術館所蔵)があげられる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葛飾北秀」の詳細全文を読む
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