|
蒙古聯合自治政府(もうこれんごうじちせいふ)は、1939年に内蒙古に樹立された傀儡政権。首府は張家口。 == 歴史 == 蒙疆地区には1937年、蒙古聯盟・察南・晋北の3自治政府が設立されたが、利害関係を調整して活動の円滑化を図るため、1937年11月22日、3自治政府によって蒙疆聯合委員会が設立された。 しかし、この委員会が十分に機能しなかったため、政府そのものを統合、一体化しようという機運が高まり、1939年9月1日、駐蒙日本軍の主導のもとで、3自治政府が統合して蒙古聯合自治政府が樹立され、初代の主席にはデムチュクドンロブ(徳穆楚克棟魯普、徳王)が就任した。首都は張家口に置かれ、名目としては中華民国臨時政府・汪兆銘政権いわれる傀儡政権下の自治政府という位置づけだった。この統合により総人口525万4833人のうち漢民族が9割の501万9987人に対してモンゴル族は15万4203人となった。 日本は、特定地点に防共目的で日本軍を駐屯し、内モンゴルを特殊防共地域とする方針を発表していた(1938年12月「日支国交調整方針に関する声明」(第三次近衛声明))〔近衛首相演述集 近衛文麿、厚地盛茂 1939年〕。主席のデムチュクドンロブ(徳王)は就任宣言において「防共協和および厚生に最善の努力を行使」と謳った〔朝日東亞年報 昭和十三→十六年版 朝日新聞社中央調査会 1941年〕。その後、1940年11月30日に、日本は中華民国南京国民政府(汪兆銘政権)と日華基本条約を結び、南京国民政府は共同防共を実行するための蒙疆への日本軍の駐屯を認めた。 1941年8月4日には蒙古自治邦政府と改称。 1945年8月9日のソ連対日参戦と日本の敗戦によって崩壊。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蒙古聯合自治政府」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|