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蒲池久憲 : ウィキペディア日本語版
蒲池久憲[かまち ひさのり]

蒲池 久憲(かまち ひさのり)は、南北朝時代から室町時代にかけての武将蒲池氏10代・藤原道兼宇都宮氏族蒲池氏(後蒲池)祖。
== 生涯 ==

=== 嵯峨源氏蒲池氏の継承 ===
正平14年/延文4年(1359年)、筑後川の戦い(大保原の戦い)で、父宇都宮懐久は伯父貞邦と共に討ち死にしており、南朝の凋落後、久憲は所領のない九州に土着すべく、久留米近くの高良玉垂宮(高良大社)の社前で、やはり父を建武3年/延元元年(1336年)の多々良浜の戦いで失っていた南朝方の蒲池武久の娘と夫婦になる。久憲は武久討ち死に以来、約20年以上もの間、当主不在であり滅びかけていた渡辺党蒲池氏の名跡と遺領を継ぎ、蒲池久憲と名乗る。
久憲について『筑後志』は「粟田関白藤原道兼の末葉であり宇都宮左衛門尉朝綱の後胤である。久憲三代の祖の宇都宮藤原貞久は正中年間(1324年 - 1326年)、征西将軍営に供奉して肥後国に下り、久憲の時において渡辺党蒲池氏の婿となりその遺跡を領す。」と記し、『肥陽軍記』は「筑後国蒲池氏は宇都宮弥三郎朝綱の末葉であり、初め宇都宮久憲が鎮西に下向し、筑後に着して蒲池の家を興し、8代後の蒲池鎮漣まで、下筑後に七千町を領し、筑後国中の諸侍に親類多く家は冨栄えた」と記している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「蒲池久憲」の詳細全文を読む



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