翻訳と辞書 |
蔵園三四郎[くらその さんしろう]
蔵園 三四郎(くらその さんしろう、1869年2月24日(明治2年1月14日〔衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、34頁。〕) - 1939年(昭和14年)4月6日〔『官報』第3680号、昭和14年4月14日〕)は、日本の政治家、衆議院議員(政友本党 → 立憲民政党 → 立憲政友会 → 昭和会)、弁護士。族籍は鹿児島県平民〔『人事興信録 7版』 人事興信所 編、1925年、く50 - 51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月23日閲覧。〕。鉄道政務次官、鉄道会議議員、南洋拓殖設立委員、薩摩製糸取締役などを務めた〔蔵園 三四郎とは コトバンク。2016年2月23日閲覧。〕 == 経歴 == 薩摩国日置郡田布施村(現在の鹿児島県南さつま市)出身〔『三州名士録大鑑 上巻』 三州名士録刊行会 編、1930年、127 - 130頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月23日閲覧。〕。瀬戸川利右衛門の長男として生まれ、1876年、先代次郎の養子となった[『人事興信録 4版』 人事興信所 編、1915年、ク38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月23日閲覧。〕。上京し、明治法律学校(現在の明治大学)で学んだ〔。弁護士試験に合格して1901年(明治34年)に東京市神田区に弁護士事務所を開いた〔。] 1913年(大正2年)に神田区会議員に選出され、1917年(大正6年)には区会議長に就任した〔。1920年(大正9年)の第14回総選挙で東京の選挙区から出馬するが落選。 1924年(大正13年)の第15回総選挙では鹿児島1区から政友本党公認で出馬して初当選。以後再選5回を重ねたが、所属政党は同郷の床次竹二郎と行動をともにしたため〔『三州名士録大鑑 上巻』P.128〕、民政党(第16回総選挙)、政友会(第17回・第18回総選挙)、昭和会(床次死後に旧床次派が結成した政党。第19回・第20回総選挙)と変遷を重ねた。この間に岡田内閣で鉄道政務次官を務めている。実業界では薩摩製糸株式会社取締役を務めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蔵園三四郎」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|