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蕭和尚(しょう かしょう、生没年不詳)は、遼(契丹)の政治家。字は洪寧。 == 経歴 == 国舅大父房の後裔。開泰初年、御盞郎君に任じられ、まもなく内史・太医等局都林牙となった。北宋に対して正月を祝う使者として赴いたとき、宴会の席次を節度使の下に置かれた。和尚は「このような席次は大国の使者にふさわしい礼遇ではない。また錦服を賜物とするのは、蕃部に対する待遇のようだ。もしこのようなことであれば、わたしは宴会に参加しない」と言った。そこで宋側は賜物を紫服に換え、席次は執政と同等に改めた。 8年(1019年)秋、唐古部節度使となり、死去した。 弟に蕭特末があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蕭和尚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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