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蕭放(しょう ほう、生没年不詳)は、南朝梁の皇族。字は希逸。 == 経歴 == 蕭祗の子として生まれた。太清3年(549年)、侯景が建康を陥落させると、蕭放は父とともに東魏に亡命した。父が死去すると、墓のそばに廬を営んで喪に服した。廬の前の樹上に2羽の鳥が巣をつくり、午後には哭泣するように悲しげに鳴いた。このとき家人が廬の中をうかがうと、蕭放は必ずいて喪礼をおこなっていた。このため蕭放は孝行で名を知られた。服喪を終えると、爵位を嗣いだ。武平年間、待詔文林館をつとめた。蕭放は文学を好み、宮中の史書や詩賦を読みあさり、屏風などの絵の監修をおこなった。太子中庶子・散騎常侍に累進した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蕭放」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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