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敬帝 (南朝梁)[けいてい]
敬帝(けいてい)は、南朝梁の第6代皇帝。姓は蕭、諱は方智(ほうち)。元帝蕭繹の九男。 == 生涯 == 承聖元年(552年)に父元帝が即位すると晋安王に封じられ、承聖2年(553年)には平南将軍・江州刺史となった。承聖3年(554年)に元帝が江陵で西魏の侵攻を受けて敗死すると、王僧弁や陳霸先らにより擁立されて梁王となり、翌555年に江州から建康に入って即位した。 即位から1ヶ月後、北斉が梁の皇族である貞陽侯蕭淵明を王僧弁のもとに送り届け、彼を梁の皇帝に擁立することを要求し、王僧弁も北斉の軍事力に屈したため、敬帝は退位して皇太子となった。しかしすぐに陳霸先が王僧弁を討ち、蕭淵明を退位させて再び蕭方智を擁立した。太平2年(557年)、敬帝は陳霸先に禅譲し、梁は滅亡した。譲位した蕭方智は陳を建てた武帝陳霸先により江陰王に封じられたが、翌年に殺害された。享年16。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「敬帝 (南朝梁)」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Emperor Jing of Liang 」があります。
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