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蕭方矩(しょう ほうく、? - 554年)は、南朝梁の皇太子。愍懐太子。元帝蕭繹の四男。母は袁貴人。字は徳規。 == 経歴 == はじめ南安県侯に封じられた、父の蕭繹に従って江陵に下向した。太清初年、使持節・督湘郢桂寧成合羅七州諸軍事・鎮南将軍・湘州刺史となった。2年(551年)、侍中・中衛将軍として召された。蕭繹が承制すると、方矩は王太子に立てられて、元良と改名した。承聖元年(552年)11月己卯、皇太子に立てられた。3年(554年)、西魏軍が江陵を陥落させると、方矩は元帝とともに殺害された。 方矩は聡明だったが、父に似て凶暴で猜疑深かった。弟の敬帝蕭方智が承制すると、愍懐太子と追諡された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蕭方矩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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