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蕭昭業[しょう しょうぎょう]
蕭 昭業(しょう しょうぎょう)は、南朝斉(南斉)の第3代皇帝。第2代皇帝武帝の孫。斉の3人の廃帝の一人で諡号や廟号はなく、死後の王号から鬱林王と史称される。 == 生涯 == 皇太子であった父蕭長懋の死により、皇太孫に立てられる。その2ヶ月後には祖父の武帝も崩御したため即位した。まだ20歳過ぎと若かったことから、竟陵王蕭子良と西昌侯蕭鸞(のちの明帝)が政務を輔けた。 蕭昭業は表立っては外見も美しくまた情も厚く見え、武帝や父にも寵愛されていたが、実は裏表のある性格で、自分の屋敷に帰った途端によからぬ取り巻きたちと享楽にふけり、父や祖父が病気になると表では涙しながら一歩外に出ると酒宴を開き、あろうことか早く死ぬよう呪詛まで行うというありさまだった。即位後も恩賞を乱発して奢侈に耽溺し、僅か1年ほどで国庫の蓄えをほとんど空にした。また、武帝の寵姫や皇后と淫蕩の限りを尽くした。このような調子で君主としての責務を果たすことがなかったため、暴君か暗君という評価が一般的になっている。蕭子良が間もなく死んで以降、政治の実権は蕭鸞が握った。蕭鸞も表では諫めつつ、裏では蕭昭業の享楽を煽っていた。 在位1年にして、蕭鸞の手により殺された。その死は、後宮で愛妾と過ごしているところを襲われる、というものだったという。死後に皇太后の手により皇位を廃され、鬱林王に落とされた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蕭昭業」の詳細全文を読む
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