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蕭昭秀(しょう しょうしゅう、483年 - 498年)は、南朝斉の皇族。巴陵王。文恵太子蕭長懋の三男。字は懐尚。 == 経歴 == 蕭長懋と陳氏のあいだの子として生まれた。永明年間、曲江公に封じられた。492年(永明10年)、寧朔将軍・済陽郡太守となった。493年(永明11年)、兄の蕭昭業が即位すると、臨海郡王に封じられた。494年(隆昌元年)1月、使持節・都督荊雍益寧梁南北秦七州軍事・西中郎将・荊州刺史に任じられた。同年(延興元年)8月、建康に召還されて車騎将軍の号を受け、京師の防衛にあたった。 495年(建武2年)9月、巴陵王に改封された。498年(永泰元年)1月、殺害された。享年は16。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蕭昭秀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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