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蕭楽音奴(しょう がくおんど、生没年不詳)は、遼(契丹)の文化人・軍人。字は婆丹。 == 経歴 == 奚六部敞穏の蕭突呂不の6世の孫にあたる。蕭抜剌の子として生まれた。容貌雄偉で弁論にすぐれ、契丹文字と漢字の双方に通じた。騎射と蹴鞠を得意として、当時の名士たちと交際した。40歳になって初めて護衛として出仕した。耶律重元の乱の鎮圧に参加して、功績により護衛太保に転じた。本部南剋となり、まもなく旗鼓拽剌詳穏となった。海東青の鶻(隼)を飼い慣らして、白花を獲得すること13回、榾柮の犀と玉吐の鶻を賜った。五蕃部節度使に任じられ、死去した。 子に蕭陽阿があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蕭楽音奴」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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