翻訳と辞書
Words near each other
・ 蕭淵明
・ 蕭淵業
・ 蕭淵藻
・ 蕭淵象
・ 蕭済
・ 蕭炳林
・ 蕭烏野
・ 蕭特末
・ 蕭琮
・ 蕭瑀
蕭瓛
・ 蕭甬線
・ 蕭痕篤
・ 蕭白
・ 蕭皇后
・ 蕭皇后 (遼天祚帝)
・ 蕭県
・ 蕭祗
・ 蕭秀華
・ 蕭秀華のMUSIC CUBE


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

蕭瓛 : ウィキペディア日本語版
蕭ケン[しょう けん]

蕭 瓛(しょう けん、569年 - 589年)は、後梁の明帝蕭巋の三男。は欽文。
== 経歴 ==
後梁の荊州刺史となり、有能で知られた。587年開皇7年)、の崔弘度が後梁を屈服させるべく兵を率いて鄀州に到達すると、蕭瓛はなすすべもなく叔父の蕭巌とともにに亡命した。陳により侍中・安東将軍・呉州刺史に任じられた。589年(開皇9年)、陳が隋に滅ぼされると、蕭瓛は呉州の人々に推されて主となった。南朝梁の末裔として江南の人々の信望をえて、梁朝の再興に期待する人々がかれのもとに集まった。隋の褒国公宇文述が兵を率いて蕭瓛を討つべくやってくると、蕭瓛は王哀に呉州を守らせ、自身は兵を率いて宇文述にあたった。宇文述が兵を分けて別道から呉州を襲撃させると、王哀は道士の服を着て城を捨てて逃亡した。蕭瓛の兵がこのことを知ると、士気は著しく落ちて、宇文述と一戦して敗れた。蕭瓛は側近数人とともに太湖に逃れ、民家に隠れたが、人に捕らえられて宇文述のもとに送られ、長安で斬られた。享年は21。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「蕭ケン」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.