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蕭 穎士(しょう えいし、717年 - 768年)は、中国・唐の詩人。蘭陵(山東省)の人。字は茂挺(もてい)。 梁の鄱陽王蕭恢の7世の孫とされる。蕭旻の子として生まれた。735年(開元23年)の進士で、秘書正学から集賢校理となったが、宰相・李林甫の意に逆らって広陵(江蘇省揚州市)の参軍に左遷された。李林甫の死後は河南府(河南省洛陽市)参軍に任ぜられたが、安禄山が勢力を持つのを見、世の乱れを予想して、嵩(すう)山の太室山にこもった。安禄山の乱のときには河南・南陽などで官軍に加わり、乱の後は金陵(南京)・揚州など江南の地に流寓し、また北へと帰ったが、放浪生活を続けるうち、汝南(河南省)の宿屋で死亡した。 韓愈に先立つ古文運動の開拓者として名高い。今、『蕭茂挺集』一巻が残っている。 子に蕭存があった。 == 伝記資料 == *『旧唐書』巻190 列伝第140下 文苑下 *『新唐書』巻202 列伝第127 文芸中 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蕭穎士」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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