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蕭速撒[しょう そくてつ] 蕭速撒(しょう そくてつ、? - 1077年)は、遼(契丹)の政治家・軍人。字は禿魯菫。契丹突呂不部の出身。 == 経歴 == 重熙年間、右護衛太保に累進した。蒲奴里が反抗すると、耶律義先の下で蒲奴里を攻撃し、首長の陶得里を捕らえて凱旋した。清寧年間、北面林牙・彰国軍節度使を歴任し、召還されて北院枢密副使となった。咸雍10年(1074年)、西南辺境を経略して、北宋の堡塁を取り除き、皮室軍を駐屯させた。 太康2年(1076年)、知北院枢密使事となった。ときに耶律乙辛が遼の朝廷で権勢を振るい、追従する者の多くは顕位に上ったが、速撒は乙辛に従おうとしなかった。乙辛は速撒を憎み、3年(1077年)5月には道宗の廃立をはかった首謀者として速撒を誣告した。この件は調査されたが証拠が出ず、速撒は上京留守に出向させられた。6月、乙辛は蕭訛都斡を使嗾して速撒を再び誣告させた。道宗は怒って、改めて尋問することなく、人を派遣して速撒を殺させた。 乾統年間、蘭陵郡王に追封され、画像が宜福殿に安置された。
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