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蕭鉉[しょう げん] 蕭 鉉(しょう げん、480年 - 498年)は、南朝斉の皇族。河東王。字は宣胤。高帝蕭道成の十九男。 == 経歴 == 蕭道成と張淑妃のあいだの子として生まれた。486年(永明4年)2月、河東王に封じられた。柳世隆の娘を妃に迎えた。494年(隆昌元年)、驍騎将軍となった。同年(延興元年)8月、南徐州刺史として出向した。ついで中書令に転じた。同年(建武元年)、散騎常侍・鎮軍将軍の位を受け、兵佐を置いた。 明帝の治世において、高帝と武帝の子孫たちは粛清におびえており、蕭鉉は朝見のたびごとに身を縮こめて俯き、平行に直視することがなかった。まもなく侍中・衛将軍に転じた。497年(建武4年)1月、蕭鉉を擁立しようとしたとの名目で王晏が処刑され、蕭鉉は免官されて王邸に蟄居させられた。498年(永泰元年)1月、明帝の病が重くなると、蕭鉉は明帝の命により殺害された。享年は19。2人の男子が襁褓の中にあったが、やはり殺害された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蕭鉉」の詳細全文を読む
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