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薛篤弼 : ウィキペディア日本語版
薛篤弼[せつ とくひつ]

薛 篤弼(せつ とくひつ、1892年 - 1973年7月9日)は、中華民国中華人民共和国の政治家。北京政府国民政府(中国国民党)に属し、馮玉祥の配下でもあった。子良
== 事績 ==

=== 北京政府時代の活動 ===
公立山西法政学校を卒業し、1911年宣統3年)に中国同盟会に加入した。1912年民国元年)の中華民国成立直後は、山西省で審判庁の役職を歴任する。
1914年(民国3年)、馮玉祥率いる陸軍第16混成旅で秘書長兼軍法処処長に任ぜられ、以後、薛篤弼は馮配下として活動する。馮が陝西督軍になると、薛は陝西省内で県長を歴任する。1922年(民国11年)4月、署理陝西省財政庁庁長に任ぜられた。翌月、馮が河南督軍に転じたため、薛もそのまま署理河南省財政庁庁長に横滑りしている。
1923年(民国12年)1月、薛篤弼は北京政府中央に召還され、署理司法部次長に任命された。3月、蒙疆善後委員会委員に任ぜられている。5月に国務院秘書長暫定代理、7月に京師税務監督暫定代理も兼ねた。翌年9月、内務部次長となっている。馮玉祥による北京政変(首都革命)勃発後、薛は王芝祥の後任として京兆尹に起用された。1926年(民国15年)9月、五原誓師により国民軍が国民聯軍に改組されると、薛は国民聯軍総司令部財政委員会委員長の要職に就いている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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