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薩土密約 : ウィキペディア日本語版
薩土密約[さっとみつやく]
薩土密約(さっとみつやく)は、江戸時代後期(幕末)の慶応3年5月21日1867年6月23日)に、京都小松帯刀(清廉)邸(京都市上京区)で締結された、薩摩藩土佐藩の実力者の間で交わされた、武力討幕のための軍事同盟である。薩土討幕の密約ともいう。
薩土盟約は土佐藩の公議政体派が大政奉還を通して、温和な手段での同盟を薩摩藩に提起した盟約であり、薩土盟約薩土密約とは性質が全く異なっているため通常は区別されて呼ばれている。
== 概要 ==
慶応3年5月に上洛した土佐藩の乾退助(後の板垣退助)は同月18日、脱藩中の中岡慎太郎の手紙を受けて、京都の料亭「近安楼」で乾と福岡藤次(孝弟)、船越洋之助らと中岡が会見し、武力討幕を密談した。
21日、中岡の仲介により薩摩藩士・小松帯刀邸にて、土佐藩の乾・谷干城毛利恭助・中岡らと、薩摩藩の西郷吉之助(隆盛)・吉井幸輔(友実)・小松帯刀らが会談し、乾は「戦となれば、藩論の如何に関わらず、必ず土佐藩兵を率いて薩摩藩に合流する」とその決意を語り、薩土討幕の密約(薩土密約)を結んだ。
この討幕の密約は、徳川恩顧の立場から公議政体論・佐幕を模索していた土佐藩前藩主山内容堂の意向に沿うものでは無かったので、有事の際に藩の軍事力を掌握しうる事実上の藩の実力者たちによる、私的な密約として取り交わされた後で藩の承認〔土佐藩の場合は翌日の5月22日に乾が容堂に報告した。〕を得て実行された。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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