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薩摩国分寺 : ウィキペディア日本語版
薩摩国分寺[さつまこくぶんじ]

薩摩国分寺(さつまこくぶんじ)は、鹿児島県薩摩川内市国分寺町にあった寺院。聖武天皇の命で全国におかれた国分寺の一つ。
== 概要 ==
発掘結果から奈良時代末期から平安時代初期に建立されたと思われる。早くに衰微したものの、室町時代までは「国府天満宮」の神宮寺として存在していた。が、いわゆる九州征伐豊臣秀吉軍の襲撃に遭い全焼する。その後、江戸時代になって島津光久により再建され泰平寺の末寺として細々と存続していた。しかし明治2年の廃仏毀釈で廃寺となった。
塔跡だけは早くから見つかっており、明治21年(1888年)礎石が市内の寺に運ばれていたが昭和19年(1944年)に発見地に戻されて国の史跡となった。1976年に全区域1.5ヘクタールが史跡に追加指定、1985年に「薩摩国分寺跡公園」として整備された。
戦後、1968年から発掘が進められて伽藍の概要が判明した。南北130メートル、東西120メートルという区域は他国の国分寺に比べて小規模である。また、伽藍配置は「川原寺式」となっており、異例づくめの国分寺であった。これは薩摩国が都から遠い辺境の地であったことが影響していると考えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「薩摩国分寺」の詳細全文を読む



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