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薭田親王(ひえだしんのう、天平勝宝3年(751年) - 天応元年12月17日(782年1月5日))は、奈良時代の皇族。光仁天皇の第三皇子。位階は三品。 == 経歴 == 宝亀元年(770年)父・白壁王の即位(光仁天皇)に伴い三世王から一世王となり親王宣下される。宝亀4年(773年)には皇太子であった兄弟の他戸親王が廃され、藤原式家の藤原百川らの推挙により光仁天皇の第一皇子・山部親王(のち桓武天皇)が新たな皇太子として冊立されたが、藤原京家の藤原浜成は母親(尾張女王)が皇族出身であるとして薭田親王を推挙していたという〔『水鏡』〕。宝亀6年(775年)四品に叙せられる。 天応元年(781年)4月に兄・桓武天皇の即位に伴い三品に昇叙されるが、同年12月17日薨去。享年31。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「薭田親王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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