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藤ヶ谷 陽介(ふじがや ようすけ、1981年2月13日 - )は、静岡県浜松市東区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ガンバ大阪所属。ポジションはゴールキーパー。 == 来歴 == 1999年、磐田東高校サッカー部(同期生に古橋達弥)からJ2のコンサドーレ札幌に入団。2003年からベテランの佐藤洋平に代わってレギュラーに定着した。 ユース代表としては、2000年のアジアユース、2001年のワールドユースともにU-19、U-20日本代表のレギュラーとして日本代表のゴールマウスを守った。 2005年に推定8000万円の移籍金でガンバ大阪に移籍した。背番号は22。当初はベンチに座る日々が続いたが、正GKだった松代直樹の故障もあって、この年のシーズン後半からレギュラーとなり、G大阪のリーグ初優勝に貢献した。その後も松代と熾烈なレギュラー争いを繰り広げたが、毎年コンスタントに20試合以上に出場した。 松代が引退した2010年からは背番号を1に変更。移籍後初のリーグ戦全試合フル出場を果たし、名実ともに正GKに定着した。G大阪の公式応援番組『GAMBA TV〜青と黒〜』の年末特別企画『GAMBA TV アウォーズ』では、選手とサポーターが選ぶ影のMVPに選出された。2011年も2年連続で公式戦全試合にフル出場した。 しかし、2012年は開幕から不安定なプレーを露呈。4月28日の鹿島アントラーズ戦では、遠藤康からのスルーパスをクリアできず空振りし、大迫勇也にゴールを許したミスを含めて5失点で大敗すると、5月6日の大宮アルディージャ戦からは木村敦志にレギュラーを奪われた。6月26日に木村が負傷離脱した後は再びレギュラーに戻るも、28試合出場で58失点を喫し、リーグ戦17試合以上に出場したGKの中で最低のセーブ率を記録するなどシーズン通して安定感の欠ける1年となり、チームも終始低迷。最終節のジュビロ磐田戦で敗れ、J2降格が決まった。 2013年は、公式戦全試合にスタメンフル出場しガンバのJ1復帰に貢献。シーズン終了後、契約満了に伴い9年間プレーしたガンバからの退団が発表された〔藤ヶ谷 陽介選手 契約満了のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2013年11月26日〕。 2014年、川口能活が抜けた地元のジュビロ磐田へ完全移籍〔藤ヶ谷陽介選手が完全移籍加入 ジュビロ磐田オフィシャルサイト、2013年12月24日〕。移籍後は開幕からスタメンを掴んだが、第8節の横浜FC戦からは八田直樹がスタメンとなり控えとなった。第16節ファジアーノ岡山戦では八田の負傷により後半開始から9試合ぶりに出場するものの、翌第17節の水戸ホーリーホック戦から再び控えに回り、結局最後まで出場機会は訪れなかった。 2015年、河田晃兵の移籍と木村敦志の引退により、新たに控えGKを探していた古巣のG大阪からオファーを受け、1月15日に2年ぶりとなる復帰が発表された〔藤ヶ谷 陽介選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2015年1月15日〕。リーグ戦の出場は正ゴールキーパー東口順昭が負傷交代したことで投入された1試合のみで、他は東口が日本代表に招集されて不在だったナビスコカップ4試合とスルガ銀行CSに出場した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤ヶ谷陽介」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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