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藤井友里子 藤井 友里子(ふじい ゆりこ、1972年12月1日〔日本代表選手団 選手名鑑(pdf) 日本障害者スポーツ協会 2016年2月29日閲覧。〕 - )は日本のボッチャ選手。富山ボッチャクラブ所属〔 BOCCIA FAN 2016年2月29日閲覧。〕。旧名柴山 友里子(しばやま ゆりこ)。 == 経歴 == 富山県魚津市出身。生後間もない頃に患った脳性麻痺で手足に重度の障がいを抱え、歩行困難になる。以前は家に閉じこもりがちだったが、2000年に障害者スポーツ交流会でボッチャを知ってからは「自分でもできるスポーツがあった」とのめり込むようになり、富山ボッチャクラブに加入した〔「パラリンピック「ボッチャ」 金 柴山さん照準ピタリ=富山」.『読売新聞(富山)』.2012年6月3日付朝刊、27面。〕〔「ロンドン・パラリンピック:ボッチャ代表内定、魚津の柴山さん練習を公開 「メダル獲得を」 /富山」.『毎日新聞(富山)』.2012年6月5日付朝刊、25面。〕。 2002年の第4回日本ボッチャ選手権大会にBC2クラスで初参戦(結果は8位)、翌年2003年の第5回日本ボッチャ選手権大会で初優勝。2005年の途中からBC1に転向し、同年の第7回日本ボッチャ選手権大会で同クラス初優勝。その後、2008年、2010年、2011年の日本ボッチャ選手権大会でも優勝した。 国際大会では2011年のボッチャワールドカップ 2011の団体戦で準優勝。2012年のロンドンパラリンピックでは団体戦で1次リーグを2連勝で突破し、準々決勝で敗退〔「「楽しくプレー」ボッチャ・柴山選手が報告 ロンドン・パラリンピック出場 /富山県」.『朝日新聞(富山)』.2012年9月14日付朝刊、35面。〕。団体戦としては同競技初の7位入賞となり〔「ロンドン・パラリンピック:ボッチャ 「笑顔で試合」声援に感謝 初出場の柴山選手、魚津市長に結果報告 /富山」.『毎日新聞(富山)』.2012年9月15日付朝刊、27面。〕〔個人戦では北京パラリンピックでの内田恵三(BC2)の5位入賞がある。〕、大会後厚生労働大臣表彰を受賞〔「パラリンピック・ロンドン大会成績優秀者厚生労働大臣表彰=富山」.『読売新聞(富山)』.2012年12月6日付朝刊、32面。〕(個人戦では2回戦敗退)。 2013年12月の第15回日本ボッチャ選手権大会で2大会ぶりの優勝。2015年2月の第16回大会、同年12月の第17回大会も制し、3連覇を果たした〔 BOCCIA FAN 2016年2月29日閲覧。〕〔to Rio vol.64 ボールの配置から"頭脳戦"がわかる...神聖さを感じた「ボッチャ」というスポーツ。 ハートネット(NHK福祉ポータル). (2016年1月15日) 2016年2月29日閲覧。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤井友里子」の詳細全文を読む
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