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藤井貞壽 : ウィキペディア日本語版
藤井貞寿[ふじい さだとし]
藤井 貞寿(ふじい さだとし、明治28年(1895年4月3日 - 昭和19年(1944年9月9日)は、日本の陸軍軍人。独立工兵第56大隊長・第2野戦船舶廠長を務め、ペリリュー島に於いて戦死を遂げる。旧姓は桐原で、張作霖爆殺事件を実行。階級は陸軍大佐
== 経歴 ==
静岡に生まれ、陸軍士官学校予科で学ぶ。大正10年3月予科を卒業し士官学校本科に進む。大正12年7月士官学校(35期)を卒業し、同10月陸軍工兵少尉に任官され工兵第20大隊附を命ぜられる。大正15年10月工兵中尉に進級し、昭和8年8月工兵大尉に進む。この間昭和3年6月4日奉天近郊で起きた張作霖爆殺事件では爆弾設置を行ったと言う。昭和9年3月工兵第20大隊中隊長を命ぜられ、昭和11年8月父島要塞司令部員に変わる。翌年3月から要塞副官に進み、昭和13年7月には工兵少佐に進級する。昭和17年4月独立工兵第56大隊長を命ぜられ、昭和18年3月中佐に進級する。昭和18年4月から第2野戦船舶廠長を務め、昭和19年7月第31軍司令部附に移る。昭和19年9月9日ペリリュー島に於いて戦死、陸軍大佐に進級する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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