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藤井 賢祐(ふじい けんすけ、生没年不明)は、日本テレビのテレビプロデューサー。1960年代後半から1970年代前半にかけて、主に日本テレビ制作のテレビアニメ作品の企画に携わり、ドラえもんアニメ第1作の日本テレビ側のプロデューサとして企画に携わったこともある。 日本テレビと関わりが深かったとされるアニメ制作プロダクションの日本テレビ動画が解散したのを最後に藤井は業界から姿を消している(後継のアニメ企画者は吉川斌)。 安藤健二が岡迫亘弘からの聞き取りとして記しているところでは、藤井は東京テレビ動画(日本テレビ動画の前身)社長の渡邊清(別名・新倉雅美)からの贈与の見返りに仕事を与えていたが、それが日本テレビに発覚して東京テレビ動画への発注がなくなったという〔安藤健二『封印作品の憂鬱』洋泉社、2014年、p70〕。安藤は藤井を「故人」と記しているが、没年などは記載していない〔。 == 主な参加作品 == * 冒険少年シャダー(1967年、企画制作) * 怪盗ラレロ(1968年、企画)※テレビドラマ * 夕やけ番長(1968年、企画) * 男一匹ガキ大将(1969年、企画) * 赤き血のイレブン(1970年、企画) * 男どアホウ!甲子園(1970年、企画) * 新オバケのQ太郎(1971年、プロデューサー) * アストロガンガー(1972年、プロデューサー) * 正義を愛する者 月光仮面(1972年、プロデューサー) * ワイルド7(1972年、企画) * 旧ドラえもん(1973年、企画)※最後の参加作品。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤井賢祐」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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