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藤倉一雅[ふじくら かずまさ]
藤倉 一雅(ふじくら かずまさ、1957年8月31日 - )は、栃木県足利市丸山町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 1984年から1988年までの登録名は「藤倉 多祐」(読み同じ)。大学野球監督となった現在でも、藤倉多祐の登録名を用いている。父は元西鉄ライオンズの藤倉平三郎。 == 来歴・人物 == 足利学園高校(現:白鴎大学足利高等学校)では投手として夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で鹿児島商に完封勝利を飾るが、3回戦では習志野高のエース小川淳司に完封負け。卒業後は青山学院大学に進み、内野手に転向。東都大学リーグでは春季二部リーグで優勝。入替戦で専大を降し、5年ぶりの一部昇格を果たす。同年の秋季リーグでは1年下のエース吉田幸夫(プリンスホテル)を擁し、リーグ3位に入る健闘を見せ、自身もベストナイン(遊撃手)に選出された。 同年のドラフト外で阪神タイガースに入団、同期入団に岡田彰布、北村照文などがいる。強肩俊足の内野手と期待され、新人ながら背番号「3」を与えられる。のジュニアオールスターでMVPを獲得。には自己最多の55試合に出場した。同年オフに弘田澄男との交換トレードでロッテオリオンズに移籍。から2年連続イースタンリーグの首位打者を獲得するなど、二軍では活躍するも一軍ではその実力は発揮できず、に現役引退。 翌からは千葉ロッテコーチ、からはロッテスカウト、からまで再びコーチを務め2001年に退団。より白鴎大学野球部コーチに就任、その後監督に昇格し現在に至る。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤倉一雅」の詳細全文を読む
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