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藤倉山城(ふじくらやまじょう)は、栃木県矢板市大字大槻小字藤倉山にあった日本の城(山城)。大槻城(おおつきじょう)とも呼ばれる。 == 概要 == 矢板市の遺跡地図によれば、矢板市大槻の藤倉山という山の山頂に、北側に堀切と東西に横堀を備え、南を崖とする小さな単郭の城郭遺構がある。当城は陣城で、曲輪の規模や内部が概ね平らながら未整地であり、また曲輪の規模も小さい。永禄2年(1559年)10月に、当地は結城晴朝の軍勢に攻められ激戦地となっており、築城はこの時の可能性が高く、矢板の遺跡地図も、その見解に基づき当城郭の築城時期を「中世」と記している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤倉山城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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