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藤光謙司 : ウィキペディア日本語版
藤光謙司[ふじみつ けんじ]

藤光 謙司(ふじみつ けんじ、1986年5月1日 - )は、日本陸上競技選手。専門は短距離走埼玉県浦和市出身。三室中学校市立浦和高校日本大学卒業。ゼンリン所属。300m日本記録保持者。
== 経歴 ==
三室中学校3年時の2001年に、参加標準記録ピッタリで全日中の100mと200mに初出場を果たすも、両種目で予選敗退に終わる。
市立浦和高校2年だった2003年に世界ユース選手権日本代表に選出され、200mメドレーリレーに出場した。200mは準決勝で敗退したが、メドレーリレーでは2走を務めて銅メダルを獲得した。
日本大学2年だった2006年関東インカレの200mで20秒46を記録するなどしていたが、日本選手権で好成績を上げることができず、大学時代はオリンピック世界選手権の出場経験はなかった(2007年アジア選手権に出場経験があり、200mで優勝している)。
社会人1年目の2009年、日本選手権200mで20秒55の記録で3位になり、初めての世界選手権代表になった。8月の世界選手権では、200mは2次予選で敗退したが、400mリレーにおいて、日本のアンカーを務め、4位に入賞した。11月に行われたアジア選手権では、400mリレーのアンカーを走った40分後に1600mリレーの1走を務め、共に金メダルを獲得した。また12月の東アジア大会は200m金メダル、400mリレー銀メダルだった。
2010年の日本選手権200mでは20秒38の自己ベストをマークして初優勝し、高平慎士の3連覇を阻止した〔高平V3阻止!藤光、自己ベストで初タイトル スポニチ Sponichi Annex (2010-6-6) 2014年7月8日閲覧。〕。9月の全日本実業団対抗選手権200mでも高平慎士の4連覇を阻止して初優勝した〔室伏 記録は低調も5度目V! スポニチ Sponichi Annex (2010-9-26) 2014年7月8日閲覧。〕。11月の広州アジア大会日本代表に選出され、200mと400mリレーと1600mリレーに出場した。200mは優勝したカタールフェミ・オグノデに次ぐ銀メダルを獲得した。400mリレーはアンカーを務めたが、バトンミスがあり予選2組5着で敗退し、1978年バンコク大会から続いていたメダル獲得記録が途絶えた〔走り高跳び高張ら3人が銀 ア大会陸上23日 共同通信社 (2010-11-23) 2014年7月8日閲覧。〕。1600mリレーは2走を務め、優勝したサウジアラビアと0秒13差の銀メダルに終わった〔藤光、男子1600R無念の2位 「即席メンバー」 福井新聞 (2010-11-27) 2014年7月8日閲覧。〕。
2012年5月、ゼンリンと所属契約を交わした〔陸上競技選手 藤光謙司との所属契約締結についてのお知らせ ゼンリン (2012-5-25) 2014年7月8日閲覧。〕。
2013年の世界選手権は400mリレーの補欠として参加していたが、リレーメンバーだった山縣亮太が100mで負傷したため、山縣の代わりに急遽2走で起用されることになった〔埼玉V、東京は失格 男子400R/国体 日刊スポーツ nikkansports.com (2013-10-8). 2014年7月8日閲覧。〕。予選では38秒23のシーズンベストを記録して2組2着で決勝に進出したが、決勝は38秒39の6位に終わった。9月は全日本実業団対抗選手権200mで3年ぶり2度目の優勝を果たした〔男子200は世界選手権リレーメンバーの藤光が優勝 スポニチ Sponichi Annex (2013-9-21) 2014年7月8日閲覧。〕。10月には国体の成年少年共通400mリレーで埼玉県のアンカーを務め、この種目では埼玉県25年ぶりの優勝に貢献した〔埼玉、5年ぶり天皇杯3位/東京国体 埼玉新聞 (2013-10-9) 2014年7月8日閲覧。〕。12月、日本陸上競技連盟がリレー種目強化のために発足したナショナルチーム(男子24名、女子14名)の一員に選ばれた〔 2014年7月8日閲覧〕。
2014年は4月の出雲陸上300mで32秒25の日本新記録およびアジア新記録を樹立した〔陸上:藤光謙司、日本新にびっくり 男子300m 毎日新聞 (2014-4-20) 2014年7月8日閲覧。〕。5月にはワールドリレーズ800mリレーに出場してアンカーを務めた。オリンピック世界選手権では行われない800mリレーに、日本は400mリレーと1600mリレーの補欠の選手達でエントリーしたが〔世界リレーに桐生ら 高瀬、飯塚も代表入り 24、25日バハマ スポニチ Sponichi Annex (2014-5-7) 2014年7月8日閲覧。〕、バトンミスが響き予選2組4着で決勝に進出することはできなかった〔新設「世界リレー」で見えた日本チームの課題 sportsnavi スポーツナビ (2014-5-27) 2014年7月8日閲覧。〕。6月の布勢スプリント100mでは第1レースで10秒28の自己ベストをマークした。9-10月はアジア競技大会に2大会連続で出場した。今回はリレー種目のみの出場だったが、1600mリレーの2走を務めて4大会ぶりの金メダル獲得に貢献した。同月の全日本実業団選手権では100mを初制覇。200mで2連覇を達成し、1995年大会の伊東浩司以来の両種目で2冠、自身初の全国大会での2冠を達成した。
2015年、4月の出雲陸上300mで32秒21をマークし、自身の持つ日本記録およびアジア最高記録を更新した。5月のワールドリレーズでは400mリレーの2走を務め、リオデジャネイロオリンピックの出場権と銅メダル獲得に貢献した。6月の日本選手権200mでは決勝を20秒32の自己ベストで制して5年ぶりの優勝を達成。7月には自身初となる単独でのヨーロッパ遠征を決行すると、14日にスイスのルツェルンで行われた国際競技会の200mで日本歴代2位の記録となる20秒13(+0.6)をマークし、自己ベストを0秒19更新した。迎えた8月の世界選手権では、200m予選で20秒28(-0.3)のセカンドベストをマークし、末續慎吾2003年大会でマークした20秒22(0.0)の世界選手権日本人最高記録に迫る好記録で予選を通過した。しかし、準決勝は3月に違和感を覚えた股関節などが気になりだし、怪我を恐れて全力を出すことが出来ずに20秒34(+0.8)とタイムを落として敗退した。400mリレーは予選で2走を務めたが、3-4走間のバトンミスが響き決勝進出を逃した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤光謙司」の詳細全文を読む



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