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藤原不比等[ふじわら の ふひと]
藤原 不比等(ふじわら の ふひと、 斉明天皇5年(659年)- 養老4年8月3日(720年9月9日))は、飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿。藤原鎌足の二男。文献によっては史(ふひと)と記されている場合もある。『興福寺縁起』『大鏡』『公卿補任』『尊卑分脈』などの史料では天智天皇の御落胤と書かれる。諡号は文忠公、国公は淡海公。 ==概要== 藤原不比等は、天智天皇から藤原氏の姓を賜った藤原鎌足の子である。文武天皇2年(698年)には、不比等の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官の官職に就くことができるとされた。不比等の従兄弟たちは、鎌足の元の姓である中臣朝臣姓とされ、神祇官として祭祀のみを担当することと明確に分けられた。このため、不比等が藤原氏の実質的な家祖と解することもできる〔高島正人は鎌足が藤原姓を授かったのは1代限りであり、不比等ら一族が藤原を名乗ることが許されたのは八色の姓施行後の天武天皇14年(685年)頃とする説を唱えている。その説を採ると鎌足の没後、暫く藤原氏は中絶していたことになる(高島正人「藤原朝臣氏の成立」(初出:『政治経済史学』第164号(1980年1月)/所収:同『奈良時代の藤原氏と朝政』(吉川弘文館、1999年))。〕。
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