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藤原乙麻呂[ふじわら の おとまろ] 藤原 乙麻呂(ふじわら の おとまろ、生年不詳 - 天平宝字4年6月17日?〔宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社学術文庫、1992年、251頁。なお、『続日本紀』天平宝字4年6月癸夘条に乙麻呂の死亡記事が記されているが6月には干支日が癸夘の日はない。〕(760年8月2日))は、奈良時代の公卿。名は乙万呂・弟麻呂とも記される。藤原南家の祖、左大臣・藤原武智麻呂の四男。官位は従三位・武部卿。 == 経歴 == 天平9年(737年)父・武智麻呂ら藤原四兄弟の死後まもなく、従兄弟の北家・永手、式家・広嗣とともに従六位上から従五位下に叙せられる。兵部少・大輔を経て、天平19年(747年)従五位上、天平勝宝元年(749年)正五位上に昇叙。翌天平勝宝2年(750年)宇佐八幡の託宣により正五位上・大宰少弐から一躍従三位・大宰帥に昇進する。天平宝字元年(757年)美作守。 兄・藤原仲麻呂の政権が確立すると、天平宝字3年(759年)武部卿に任ぜられる。しかし、天平宝字4年(760年)6月の光明皇太后崩御後まもなく死去した。最終官位は武部卿従三位。藤原仲麻呂政権の後ろ盾であった光明皇太后、及び同政権内で武部卿として軍事面を担っていた乙麻呂の相次ぐ死去は、政権への大きな打撃となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原乙麻呂」の詳細全文を読む
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