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藤原 仁(ふじわら まさし、1956年3月2日 - )は広島県広島市出身で、阪神タイガース・日本ハムファイターズに所属していた元プロ野球選手(投手)である。左投左打。 == 来歴・人物 == 広島・崇徳高校では、エースとして1973年の夏の甲子園県予選決勝に進出するが、佃正樹、達川光男のバッテリーを擁する広島商に敗れる。広島商は甲子園で優勝〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。同年大洋ホエールズにドラフト7位で指名されたが入団を拒否した。 卒業後は駒澤大学に進学するも2年で中退し、日本楽器に入社。1978年から都市対抗野球大会に2年連続出場。1979年の大会では準決勝に進出。三菱重工広島と対戦しリリーフとして起用されるが、甲子園出場を阻まれた広島商出身の金光興二に同点本塁打を喫し最後は逆転負け、チームはベスト4にとどまった〔「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年〕。 同年暮れ、ドラフト外で阪神タイガースに入団。オーバースローとスリークォーターを使い分けるピッチングが身上で、シュート、カーブ、フォークボールを武器とし、主に中継ぎ・ローテの谷間で活躍。 3年目の1982年に6勝を記録し飛躍が期されるも翌年剥離骨折に見舞われ、その後低迷した。1987年シーズン終了後、岡部憲章との交換トレードで日本ハムファイターズに移籍。しかしここでは2試合のみの登板に留まり、1988年オフに引退した。 引退後は、地元の広島市内にて生花店を営むも閉店し、現在は同市内に在住している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原仁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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