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藤原仲統 : ウィキペディア日本語版
藤原仲統[ふじわら の なかむね]
藤原 仲統(ふじわら の なかむね/ なかのり、弘仁9年(818年) - 貞観17年6月6日875年7月12日))は、平安時代前期の公卿。名は仲縁(なかふち)とも記される〔『公卿補任』〕。藤原南家右大臣藤原三守の次男。官位正四位下参議
== 経歴 ==
天長10年(833年仁明天皇即位に伴い蔵人に任ぜられ、承和2年(835年従五位下、承和4年(837年侍従に叙任される。のち、承和7年(840年右兵衛佐、承和13年(846年左近衛少将と仁明朝の半ば以降は武官を務める一方、伊勢介次いで伊勢守と伊勢国司を兼ねる。またこの間の承和14年(847年)従五位上に叙せられている。
文徳朝では引き続き左近衛少将を務めながら、仁寿3年(853年正五位下斉衡2年(855年従四位下と順調に昇進する。のち、備前権守左馬頭民部大輔加賀守等内外の諸官を歴任した。また、天安2年(858年)8月の文徳天皇の崩御にあたっては、装束司を務めている。
同年清和天皇が即位したのち、兵部大輔に転じ、貞観4年(862年)従四位上、貞観12年(870年蔵人頭、貞観13年(871年治部卿と叙任され、貞観14年(872年参議に任ぜられてついに公卿に列した。この間、美作守紀伊守・備前守と地方官も兼帯している。貞観16年(874年正四位下に昇叙され、貞観17年(875年)正月に右兵衛督を兼ねるが、同年6月6日卒去。一説では病の無いまま夜中に卒したという〔。享年58〔『日本三代実録』貞観16年6月6日条による。『公卿補任』では57歳とする。〕。最終官位は参議正四位下行右兵衛督。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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