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藤原伊房[ふじわら の これふさ] 藤原 伊房(ふじわら の これふさ、長元3年(1030年) - 永長元年9月16日(1096年10月4日))は、平安時代中期から後期にかけての公家。世尊寺流の能書家。権大納言・藤原行成の孫で、参議・藤原行経の子。官位は正二位・権中納言。 == 経歴 ==
長元4年(1031年)従五位下に叙爵、以後少納言・蔵人・木工頭・権左中弁などを歴任し、延久元年(1069年)6月に蔵人頭、12月に左中弁に任じられた。延久4年(1072年)に右大弁・参議となり、この時の官位は正四位上であった。承暦4年(1080年)権中納言に任じられ、永保2年(1082年)正二位に叙された。 寛治8年(1094年)5月25日、兼務していた大宰権帥の職権を利用して遼と私貿易を行ったことをとがめられ、従二位に降格の上、停職を命じられた。永長元年(1096年)8月に復位が許されたが、間もなく病気で出家し直後に没した。以後、伊房の世尊寺家は、4代続けて公卿に昇ることが出来ず、公家としては苦難の時代を迎えることになる。 白河天皇に仕えた賢臣として、大江匡房・藤原為房とともに「前の三房」と並び称された。勅撰歌人として、『後拾遺和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に5首が採録されている〔『勅撰作者部類』〕。なお、『後拾遺和歌集』の奏覧本の清書を依頼された際に、自分の和歌作品が1首しか入首していなかったことから、勝手に2首を書き加えたところ、発覚して書き直しを命じられるが、それに立腹して清書の役を辞したという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原伊房」の詳細全文を読む
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