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藤原伊行 : ウィキペディア日本語版
藤原伊行[ふじわら の これゆき]
藤原 伊行(ふじわら の これゆき、保延5年(1139年)? - 安元元年(1175年)?)は、平安時代後期の能書家の家柄である世尊寺流の6代目。宮内権大輔藤原定信の子。官位は従五位上宮内少輔
== 経歴 ==
仁平3年(1153年)知足院堂供養の願文を清書しており、平治元年(1159年)と仁安元年(1166年)には大嘗会の悠紀主基(ゆきすき)屏風の色紙形の筆者に選ばれている。現存する日本最古の書論書『夜鶴庭訓抄』を残した。また最も古い『源氏物語』の注釈書である源氏釈を著した。
また、歴代大臣の上表文の清書にも携わっており、藤原頼長内覧辞任の上表の際に1字分脱字を冒して傍らに補ったことを頼長から責められた伊行は「1・2文字の脱字は書き入れ、3字以上はそのままにするのが『父祖所伝之故実』である」と主張して頼長を黙らせたという〔『台記久寿2年4月27日条(宮崎、2002年)〕。また、世尊寺家の記録では安元元年(1175年)に没したとされているが、藤原基房の上表の際に仁安3年(1168年)の2度目の上表文は伊行が清書しておきながら、翌嘉応元年(1169年)の3度目のものは息子の伊経が行っていることから、この間に死去したとする説もある〔春名、1994年。〕。
書跡に「戊辰切」「葦手下絵和漢朗詠集」がある。また、にも巧みであったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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