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藤原佐忠[ふじわらたすくただし]
藤原 佐忠(ふじわら の すけただ、生没年不詳)は平安時代中期の貴族、歌人。藤原北家魚名流、出羽守・藤原連茂の子。 == 経歴 == 天慶8年(945年)当時六位蔵人木工助を務めている〔『小野宮年中行事』天慶8年8月10日条〕。同年12月大納言・藤原師輔に召され郡司読奏の由を奏上する。この頃木工権助に転じるか〔『本朝世紀』天慶8年12月5日条〕。翌天慶9年(946年)には式部丞に転じ、天暦元年(947年)に入り朱雀院判代官兼肥後権守となる。 天暦3年(949年)当時中務丞を務める〔『日本紀略』天暦3年6月6日条〕。『朝野群載』に収める解によれば天暦5年(951年)摂津守を務めており、天暦3年(949年)から天暦5年(951年)の間に従五位下に叙爵されたことが分かる。応和2年(962年)正月に右中弁となる。同年5月には歌合に出詠。応和3年(963年)頃には広平親王家別當を務めた。 康保2年(965年)大宰大弐に任ぜられ、翌康保3年(966年)赴任の由を御前で申す〔『西宮記』康保3年10月20日条〕。安和3年(970年)召還の太政官符が出され召還。当時の位階は従四位下。最終的に従四位上行勘解由長官に進む〔『権記』長保2年4月9日条〕。また、時期は不明ながら因幡守を務めたという〔『尊卑分脈』末茂流〕。 勅撰歌人としての活躍も見られ、『拾遺和歌集』に佐忠の詠んだ和歌作品1首が残っている〔『勅撰作者部類』〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原佐忠」の詳細全文を読む
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