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藤原 保昌(ふじわら の やすまさ、天徳2年(958年) - 長元9年(1036年)9月)は、平安時代中期の貴族。藤原南家巨勢磨流、右京大夫・藤原致忠の子。弟に盗賊として知られる藤原保輔がいる。官位は正四位下・摂津守。摂津守となり同国平井に住したことから平井 保昌とも呼ばれる。 == 経歴 == 長和2年(1013年)に左馬権頭兼大和守に任じられ、以後円融院判官代・丹後守・摂津守・山城守・肥前守・日向守などを歴任し、正四位下に昇る。また藤原道長・頼通父子の家司も務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原保昌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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