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藤原光俊 : ウィキペディア日本語版
葉室光俊[はむろ みつとし]

葉室 光俊(はむろ みつとし、1203年建仁3年) - 1276年7月21日建治2年6月9日))は、鎌倉時代に活躍した歌人である。新三十六歌仙の一人。父は藤原北家高藤流権中納言葉室光親。母は順徳天皇の乳母としても知られる藤原経子。同腹の兄に後嵯峨院院司葉室定嗣がいる。子に大僧都定円、娘に尚侍家中納言(藤原親子)、鷹司院帥がおり共に勅撰歌人である。出家して真観と称した。右大弁入道等とも呼ばれる。
== 経歴 ==
1220年承久2年)、右少弁蔵人に任じられる。翌1221年承久の乱敗北により、父光親は死罪、光俊も連座して筑紫に配流されたが、1226年嘉禄2年)以降は中央に返り咲き、後堀河院院司別当に至る。正四位下右衛門権佐右大弁1236年嘉禎2年)出家、法号真観〔* name=jogan/>。歌人としては、はじめ藤原定家に師事し、『新勅撰和歌集』で勅撰集入集を果たすが、やがて正三位知家(藤原知家)らと共に、御子左派への対抗勢力を形成。『現存和歌六帖』『秋風和歌集』等の編纂、『難続後撰』等の著述によってその立場を主張した。1260年文応元年)以降、将軍宗尊親王の歌の師として、鎌倉歌壇にも重きをなす。歌枕の研究に『風土記』を活用したことでも知られる〔。また、宗尊親王の後援を背景として、後嵯峨院の命により『続古今和歌集』撰者に加えられる〔等、中央歌壇にも影響力を持ったが、親王の失脚に伴い、勢いを失った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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