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藤原 光房(ふじわら の みつふさ、天仁2年(1109年) - 久寿元年11月10日(1154年12月16日))は平安時代後期の貴族。藤原北家勧修寺流、参議・藤原為隆の三男。官位は正四位下・権右中弁。伊豆弁を号す。 元永3年(1120年)に正六位上で大膳亮に任ぜられた後、摂津守・伊豆守・勘解由次官・春宮大進を歴任。久安3年(1147年)に右少弁に任ぜられる。久安6年(1150年)権右中弁に進み、仁平2年(1152年)中宮亮を兼ねて中宮・藤原呈子に仕えるが、久寿元年(1154年)11月10日に頓死した。享年46。 == 系譜 == *父:藤原為隆 *母:藤原有佐の娘 *妻:源有賢の娘 *男子:藤原信方 *妻:藤原俊忠の娘 *男子:吉田経房(1142-1200) *男子:九条光長(1144-1195) *男子:隆範 *妻:藤原為忠の娘 *五男:藤原定長(1149-1195) *妻:平親宗の娘 *男子:行舜 *生母不明の子女 *男子:藤原為頼 *男子:藤原光綱 *男子:光慶 *男子:光玄 *男子:隆遍(1145-1206) *女子:中原忠親室 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原光房」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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