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藤原公世[ふじわら の きんよ]
藤原公世(ふじわら の きんよ)は鎌倉時代の公卿。非参議従二位侍従。従三位八条実俊の二男。母は春華門院大進(佐々木判官定綱の娘)。山階左大臣洞院実雄の猶子。『尊卑分脈』には「箏一流正統」と注記がある〔『尊卑分脈』、閑院流三条家分流、八条家、「藤原公世」の項。〕。 全くの傍流に過ぎなかった公世であるが、長命であったこと(生年は不明だが、叙爵から死去まで75年であった)、箏に秀でていたことなどから従二位に至ったと考えられる。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 嘉禄2年(1226年)1月5日、叙爵。文暦2年(1235年)9月10日、侍従に任ぜられる。嘉禎4年(1238年)1月22日、復任。暦仁2年(1239年)1月5日、従五位上に昇叙〔安嘉門院当年御給。〕。仁治3年(1242年)3月15日、正五位下に昇叙〔後嵯峨天皇即位時の叙位。式乾門院御給。〕。寛元4年(1246年)3月8日、従四位下に昇叙〔後深草天皇即位時の叙位。室町院御給。〕。建長6年(1254年)12月17日、右少将に任ぜられる。建長7年(1255年)2月13日、相模介を兼ねる。建長8年(1256年)1月6日、従四位上に昇叙。正嘉3年(1259年)1月21日、正四位下に昇叙〔右少将を免官の上での叙位。〕。文応元年(1260年)4月26日、左馬頭に任ぜられる。弘長元年(1261年)9月26日、左中将に転任。文永2年(1265年)11月8日、左中将を辞した。 弘安6年(1283年)4月5日、従三位に叙せられる。7月20日、侍従に任ぜられる。弘安10年(1287年)1月13日、周防権守を兼ねる。正応3年(1290年)1月5日、正三位に昇叙。永仁元年(1293年)9月12日、従二位に昇叙。正安3年(1301年)4月6日、薨去。
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