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藤原公清 : ウィキペディア日本語版
藤原公清[ふじわらいさおきよし]
藤原 公清(ふじわら の きんきよ)は平安時代後期から鎌倉時代前期の公卿権大納言滋野井実国の次男。八条または風早二位と号した。
== 経歴 ==
嘉応2年(1170年)に5歳で従五位下叙爵治承3年(1179年)に昇殿を聴され、治承4年(1180年左衛門佐に任ぜられた。養和2年(1182年)従五位上に昇叙。
元暦2年(1185年従四位下近江権介に叙任。左近衛少将を経て、文治6年(1190年)には従四位上・駿河介に叙任された。建久4年(1193年)に左近衛少将・平光盛とともに除籍されているが詳細は不明。建久9年(1198年)3月に石清水臨時祭の舞人に奉仕し〔『猪隈関白記建久9年3月27日条。〕、同年11月には正四位下・近江介と順調に昇進。正治2年(1200年東宮昇殿を聴され、正治3年(1201年)左近衛権中将に転じた。同年11月に行われた賀茂臨時祭では祭使を務めた〔『猪隈関白記建仁元年11月26日条。〕。
建仁2年(1202年)正月加賀介を兼任し、同年3月の後鳥羽上皇御幸の際にはを献じている〔『猪隈関白記建仁2年3月26日/28日条。〕。建仁3年(1203年)に従三位に叙せられて公卿に列した。建永2年(1207年)には正三位参議に叙任されるが、その後の昇進は停滞する。
建暦元年(1211年)に参議を辞退して従二位に叙せられるが、貞応2年(1223年)12月に出家して安貞2年(1228年)に63歳で薨去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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