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藤原公通 : ウィキペディア日本語版
藤原公通[ふじわら の きんみち]

藤原公通(ふじわら の きんみち)は平安時代後期の公卿。正二位権大納言按察使西園寺家の第二代とされる。権中納言藤原通季の子。閑院按察使と号す。藤大納言とも呼ばれた。
== 経歴 ==
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
保安3年(1122年)1月7日、叙爵。大治2年(1127年)1月19日、丹波守に任ぜられる。同年11月15日には昇殿を許され、12月20日に侍従に任ぜられる。大治3年(1128年)6月17日、父通季が薨去。天承元年(1131年)1月7日、従五位上に昇叙。長承3年(1134年)2月24日、因幡守に任ぜられる。保延元年(1136年)1月5日、正五位下に昇叙。同年12月26日、右少将に任ぜられる。保延4年(1138年)1月7日、従四位下に昇叙。4月5日、少将は元の如しとされ、同月19日には再び昇殿を許される。保延5年(1139年)10月26日、従四位上に昇叙。保延6年(1140年)4月、因幡守を辞す。永治元年(1141年)12月2日、右中将に任ぜられ、同月7日には新帝の昇殿を許される。さらに同月26日には正四位下に昇叙。以後しばらく昇進がなく、久安5年(1149年)7月28日、蔵人頭に補される。

久安6年(1150年)1月29日、参議に任ぜられる。仁平元年(1151年)2月2日、備前権守を兼ねる。久寿元年(1154年)1月5日、従三位に叙される。保元元年(1156年)1月27日、美作権守を兼ねる。保元2年(1157年)10月27日、権中納言に任ぜられる。保元3年(1158年)1月13日、正三位に昇叙。8月10日、息男実宗を右少将に申任するために権中納言を辞した。永暦元年(1160年)2月28日、権中納言に還任し、8月11日には中納言に転正した。

応保元年(1161年)9月13日、権大納言に任ぜられる。同年10月21日、従二位に昇叙。応保2年(1162年)1月27日、按察使を兼ねる。同年5月22日、勅授帯剣を許される。長寛2年(1164年)1月5日、正二位に昇叙。仁安2年(1167年)2月11日、息男実仲を下総守に申任するため権大納言を辞した。按察使はそのままで本座を許される。承安3年(1173年)9月9日、薨去。
早くに父を亡くしたため、若い頃の昇進が遅かったことがわかる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤原公通」の詳細全文を読む



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