翻訳と辞書
Words near each other
・ 藤原兼房 (太政大臣)
・ 藤原兼経
・ 藤原兼綱
・ 藤原兼良
・ 藤原兼茂
・ 藤原兼輔
・ 藤原兼通
・ 藤原兼長
・ 藤原兼隆
・ 藤原兼雅
藤原兼頼
・ 藤原内麻呂
・ 藤原内麿
・ 藤原冬嗣
・ 藤原冬緒
・ 藤原冬通
・ 藤原利仁
・ 藤原利基
・ 藤原刷雄
・ 藤原則子


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

藤原兼頼 : ウィキペディア日本語版
藤原兼頼[ふじわらかねより]

藤原 兼頼(ふじわら の かねより)は平安時代中期から後期にかけての公卿右大臣藤原頼宗の長男。小野宮中納言と号す。
== 経歴 ==
右大臣藤原頼宗の長男として生まれる。万寿3年(1026年元服と同時に正五位下に叙され、侍従右近衛少将に任ぜられる。万寿4年(1027年)に正五位上・近江介に叙任。
長元2年(1029年従四位下右近衛中将に叙任され、同年中に従四位上・左近衛中将に遷る。長元3年(1030年正四位下次いで従三位に叙される。長元4年(1031年)に参議に任じ、長元5年(1032年)に備中権守に任ぜられた。長元7年(1034年正三位に叙し、長元9年(1036年)には従二位に進む。
讃岐権守の任期が果てると、長久3年(1042年正二位権中納言に叙任される。康平2年(1059年春宮権大夫を務める。
康平6年(1063年)正月11日に50歳で薨去した。
長元2年(1029年)に縁談が成立し、右大臣・藤原実資の溺愛した藤原千古を妻と為したため、小野宮家の資産を受け継いだ。千古の父実資はこの縁談を慎重に行い、権中納言藤原経通や同・藤原資平らに相談したり、主計頭賀茂守道を召して婚儀の日取の吉凶を確認したりしている〔『小右記長元2年8月26日条、同年9月20日条〕。また、この縁から兼頼は小野宮中納言と号した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤原兼頼」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.