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藤原 兼頼(ふじわら の かねより)は平安時代中期から後期にかけての公卿。右大臣・藤原頼宗の長男。小野宮中納言と号す。 == 経歴 == 右大臣・藤原頼宗の長男として生まれる。万寿3年(1026年)元服と同時に正五位下に叙され、侍従・右近衛少将に任ぜられる。万寿4年(1027年)に正五位上・近江介に叙任。 長元2年(1029年)従四位下・右近衛中将に叙任され、同年中に従四位上・左近衛中将に遷る。長元3年(1030年)正四位下次いで従三位に叙される。長元4年(1031年)に参議に任じ、長元5年(1032年)に備中権守に任ぜられた。長元7年(1034年)正三位に叙し、長元9年(1036年)には従二位に進む。 讃岐権守の任期が果てると、長久3年(1042年)正二位・権中納言に叙任される。康平2年(1059年)春宮権大夫を務める。 康平6年(1063年)正月11日に50歳で薨去した。 長元2年(1029年)に縁談が成立し、右大臣・藤原実資の溺愛した藤原千古を妻と為したため、小野宮家の資産を受け継いだ。千古の父実資はこの縁談を慎重に行い、権中納言・藤原経通や同・藤原資平らに相談したり、主計頭・賀茂守道を召して婚儀の日取の吉凶を確認したりしている〔『小右記』長元2年8月26日条、同年9月20日条〕。また、この縁から兼頼は小野宮中納言と号した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原兼頼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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