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藤原千尋 : ウィキペディア日本語版
藤原御楯[ふじわら の みたて]
藤原 御楯(ふじわら の みたて、生年不詳〔生年に関しては『公卿補任』に「没年五十歳」とあるが、生年を逆算すると次兄・真楯と同年(霊亀元年(715年))生まれとなるため誤りとするのが通説。〕 - 天平宝字8年6月9日764年7月12日))は奈良時代貴族。初名は千尋藤原北家の祖である参議藤原房前の六男。官位従三位参議
== 経歴 ==
天平勝宝元年(749年)4月正六位上から従五位下に、同年7月の孝謙天皇の即位に伴い従五位上に昇叙される。同母兄の藤原永手八束藤原仲麻呂と対立したのに対し、妻が仲麻呂の娘、姉が仲麻呂の妻という親族関係から、千尋は仲麻呂の側近であったと推測され、天平勝宝9年(757年)仲麻呂が大炊王を皇太子に冊立し紫微内相に任ぜられて権力を握ると、千尋は同年5月に正五位下、8月正五位上と続けて昇叙される。
天平宝字2年(758年)大炊王の即位(淳仁天皇)に伴って、千尋から唐風名の「御楯」に改名し、従四位下に昇叙。天平宝字3年(759年)には従四位上・参議に叙任され、兄の永手・八束・清河に次いで房前の子息4人が同時に公卿に列した。その後も天平宝字5年(761年)には従三位にまで昇叙され、兄・真楯(八束)に昇進面で肩を並べるなど、仲麻呂政権の有力メンバーとして目覚ましい昇進を遂げた。また、御楯は授刀衛の長官(授刀督)であったことから、仲麻呂政権において特に軍事面を担っていた。しかしながら、天平宝字8年(764年)6月仲麻呂に先立って急死してしまい、そのことが同年9月に発生した藤原仲麻呂の乱で仲麻呂が敗退する間接的な原因となったと考えられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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