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藤原在衡[ふじわら の ありひら]
藤原 在衡(ふじわら の ありひら)は、平安時代中期の公卿。藤原北家魚名流、中納言・藤原山蔭の孫。大僧都・如無の子、叔父の但馬介・藤原有頼の養子。官位は従二位・左大臣、贈従一位。粟田左大臣、あるいは万里小路大臣と称す。 == 経歴 == 延喜13年(913年)22歳で文章生となる。延喜17年(917年)備前掾を経て、延暦18年12月(919年1月)対策に及第し、明けて延暦19年(919年)正月に少内記に任ぜられ六位蔵人も兼ねる。延長2年(924年)従五位下に叙爵。のち醍醐朝では、刑部少輔・大学頭・侍従・式部権少輔・五位蔵人を歴任した。 延長8年(930年)朱雀天皇の即位後まもなく従五位上・式部少輔に叙任され、承平2年(932年)左少弁に転じると、承平3年(933年)右中弁、承平6年(936年)正五位下、承平7年(937年)左中弁、承平8年(938年)従四位下と、朱雀朝において弁官を務めながら順調に昇進し、天慶4年(941年)参議兼右大弁に任ぜられ50歳にして公卿に列した。また、議政官として左右大弁に式部大輔を兼帯している。 天暦元年(947年)先任の参議4人(源兼明・藤原忠文・伴保平・源庶明)を越えて、従三位・権中納言に任ぜられると、天暦2年(948年)中納言、天暦9年(955年)正三位と村上朝でも昇進を重ねる。天暦7年(953年)に大納言・藤原元方が薨去すると中納言以上では在衡が最高齢となったが、天徳4年(960年)10歳以上年下の右大臣・藤原師輔の薨去に伴って大納言に昇進し、安和2年(969年)には安和の変によって失脚した左大臣・源高明の後を受けて右大臣に任ぜられ、78歳にして遂に大臣の官職に至った。同年の20歳以上年下の左大臣・藤原師尹の薨去に伴い、翌天禄元年(970年)には左大臣に任ぜられるが、同年10月10日に致仕・出家し同日薨去。享年79。同月20日に出家人ながら従一位の位階を贈位された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原在衡」の詳細全文を読む
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