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藤原基忠[ふじわら の もとただ]
藤原 基忠(ふじわら の もとただ)は、平安時代後期(院政期)の公卿。大納言・藤原忠家の子。 == 経歴 == 治暦2年12月(1067年1月)に従五位下に叙爵し、侍従、左近衛少将を歴任。 延久元年(1069年)従五位上に陞叙。延久2年(1070年)備前権介を兼任。延久4年(1072年)正五位下、同年中に従四位下に叙される。承保元年(1074年)には従四位上・丹波介、承保2年(1075年)には正四位下・左近衛中将に叙任。 美作介を経て、承暦4年(1080年)蔵人頭に任ぜられる。右近衛中将を経て、永保2年(1082年)に参議に任ぜられて公卿に列す。永保3年(1083年)近江権守に任ぜられ、翌年従三位に陞叙。寛治2年(1088年)には正三位・讃岐権守に叙任されている。寛治5年(1091年)権中納言に昇り、寛治7年(1093年)従二位。嘉保2年(1095年)には左兵衛督を兼ねた。 永長2年(1097年)右衛門督に任ぜられる。承徳2年(1098年)11月17日に43歳で薨去。この日、関白・藤原師通の春日詣があり、共も寅刻から関白殿に参るが、基忠の薨去により停められたという〔『殿暦』承徳2年11月17日条〕。また、嘉保2年(1095年)の「永長の大田楽」の際には、権中納言だったが、「九尺の高扇」を掲げて踊り狂った、と大江匡房が記録している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原基忠」の詳細全文を読む
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