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藤原 基貞(ふじわら の もとさだ、寛仁4年(1020年) - 没年不詳)は、平安時代中期から後期にかけての貴族。藤原北家、右大臣・藤原頼宗の三男。官位は正四位下・美濃守。 == 概要 == 長元8年(1035年)に但馬守〔『栄花物語』〕、寛徳3年(1046年)には美濃守と地方官や、刑部卿などを歴任した。しかし、妾腹だったことなどから官位には恵まれず、正四位下・美濃守止まりで藤原道長の孫でありながら僧・頼観を除いて兄弟中唯一公卿に昇っていない。 また、多くの子息に恵まれ、兼実は太政大臣・藤原信長の養子となる。また、娘は権大納言・藤原公実、摂関太政大臣・藤原師実にそれぞれ嫁ぎ、その子が三条家・大炊御門家として後世に血統を繋げた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原基貞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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