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藤原季家 : ウィキペディア日本語版
藤原季家[ふじわら の すえいえ]

藤原 季家(ふじわら の すえいえ)は平安時代後期の貴族刑部卿藤原敦兼の四男。官位正四位下中務権大輔藤原聖子(皇嘉門院)に仕える中級貴族として活動した。
== 経歴 ==
藤原道綱の曾孫にあたる藤原敦兼の四男として誕生。久安5年(1149年)以前に中務大輔に任ぜられる〔『本朝世紀久安5年7月28日条。〕。仁平元年(1151年)11月、禁中にて左近衛中将藤原実長と口論をしたために恐懼に処された〔『本朝世紀仁平元年11月30日条。〕。仁平2年(1152年)11月、近衛基実藤原聖子(皇嘉門院)に「別当季家朝臣」を介して慶賀を申しており、皇嘉門院に別当として仕えていたことが分かっている〔『兵範記仁平2年11月15日条。〕。久寿2年(1155年)7月、近衛天皇の葬送が行われた際には、藤原光隆らと共に入棺および、御輿長を務めた〔『兵範記久寿2年7月27日条。〕。保元2年(1157年正四位下に叙せられる。
保元2年(1157年)10月、中務権大輔に平頼盛が任ぜられており、権大輔を辞任したと思われる〔『公卿補任仁安元年条。〕。また、同月までは皇嘉門院の院司としての活動が史料に見えるが、同年11月を最後に季家についての記載はなく、『尊卑分脈』によれば出家したという。没年は不詳。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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