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藤原 季経(ふじわら の すえつね、天承元年(1131年) - 承久3年閏10月4日(1221年11月19日))は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公家・歌人。藤原北家末茂流、左京大夫・藤原顕輔の子。官位は正三位・宮内卿。 久安2年(1146年)従五位下に叙爵。のち山城守・中務権少輔・中宮亮・宮内卿を歴任し、文治5年(1189年)従三位に叙せられ公卿に列す。建久9年(1198年)正三位。 同母兄である重家とともに、父顕輔の寵愛を受けたとされる。「千五百番歌合」などの判者となり、藤原定家と対立したことで知られている。建仁元年(1201年)12月15日出家。法名は蓮経。 勅撰歌人として、『千載和歌集』(5首)以下の勅撰和歌集に21首が入集〔『勅撰作者部類』〕。家集に『季経入道集』がある。 == 系譜 == * 父:藤原顕輔 * 母:家女房 * 妻:不詳 * 養子:藤原保季 - 実は藤原重家の子 * 養子:藤原資家 - 実は藤原重家の子 * 女子:藤原資頼室 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原季経」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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