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藤原宗家[ふじわら の むねいえ]
藤原 宗家(ふじわら の むねいえ)は、平安時代後期の公卿。初名は信能(長寛2年(1164年)まで)。藤原北家中御門流の藤原宗能の長男。 == 経歴 == 永治元年(1141年)に従五位下に叙され、久安5年(1149年)に従五位上・侍従に任官。久安7年(1151年)に正五位下に進む。久寿2年(1155年)に右近衛少将に任ぜられ、翌年に従四位下・左近衛少将に任じられ、続いて従四位上に進む。保元3年(1158年)に正四位下・左近衛中将、翌年には蔵人頭を兼ねて頭中将となり、更に中宮権亮を兼ねる。永暦元年(1160年)に参議に任ぜられ、応保2年(1162年)に従三位に進む。長寛2年(1164年)に正三位に進む。 永万2年(1166年)に六条天皇が即位すると、権中納言に任ぜられ、仁安3年(1168年)に中納言に転じる。承安2年(1172年)に従二位、安元2年(1176年)に正二位に進み、治承3年(1179年)に権大納言に任ぜられる。文治5年(1189年)内府(九条良通)の法事に参会〔『玉葉』文治5年2月14日条〕、祈年穀奉幣の上卿を務める〔『玉葉』文治5年2月24日〕など、活動をしていたが閏4月に腹病のために薨去。享年51。出家したともいわれる〔『公卿補任』文治5年条〕。 父より神楽・和琴の秘伝を継ぎ、松木家(中御門家)を楽道の家として発展させる基礎を築いた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原宗家」の詳細全文を読む
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